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浄土真宗本願寺派
本願寺人吉別院
〒868-0034 熊本県人吉市七日町25
【TEL】0966-22-3316
【FAX】0966-24-7125
- 電車でお越しの場合
- JR肥薩線「人吉駅」より徒歩20分
- お車でお越しの方
- 人吉インターより車で5分
※地図上の番号にマウスを合わせると地名が表示されます。
クリックすると詳細がご覧になれます。
ほんがんじひとよしべついん
本願寺人吉別院
一向宗(浄土真宗)解禁後、明治11年(1878)本願寺人吉説教所として竣工。明治36年(1903)「光尊時」と改称、同時に本山別院と定められました。大正8年(1919)本願寺人吉別院と改称。
人吉球磨の多くの門徒たちの心の支えとなっています。
かしがみねでんすけじゅんきょうち
合戦峰伝助殉教地
伝助さんは正式なお坊さんではありませんでしたが、禁制厳しい中、昼は隠れ、夜になると忍んで人吉球磨の各所に出向き、真宗の法義の教化につとめ、「仏飯講」(ぶっぱんこう)を結びました。密告訴によって捕われ、天明2年(1782)獄門に処せられました。明治36年(1903)、仏飯講の同行(どうぎょう)によって墓碑が建立されました。
よなやまのくびづかせいち
与内山の首塚聖地
伝助さんの法弟子秋山和七郎は、獄門に処せられ、さらされていた伝助さんの首を夜陰(やいん)に乗じて盗み出し、自宅の石地蔵に埋葬しました。
やまえむられきしみんぞくしりょうかん
山江村歴史民俗資料館
相良藩と一向宗禁制展示コーナーに、禁制に関する遺品資料が展示されています。禁制によって弾圧を受けていた、人々の想いを感じることができます。
やまだむらのでんすけのはか
山田村の伝助の墓
山江村山田西川内の民家の墓地に伝助さん三代の墓があります。位牌は本願寺人吉別院に預けられています。伝助さんはお念仏を護りぬくため、命をかけ自由と真の拠り所「仏飯講」を組織し、浄土真宗解禁に尽力をつくしました。
じゅうよったりふち
十四人淵
貞享4年(1687)球磨川の支流川辺川の尾曲淵に、真宗のご門徒男女14人が細紐で互いに体を結び合い入水したと語り継がれています
としまぶつぞうぶつぐしょうきゃくあとち
十島仏像仏具焼却跡地
天文23年(1554)2月7日の真宗禁令により球磨一円の真宗信者の家から仏像仏具を撤収し、焼却した地で、その後、随時摘発が行われ焼却した処です。今も当時の灰があり、古老の話によると、この地には昔は草も生えず、牛馬も避けて通ったと言います。
現在、記念の祠が建てられています。
はなたて
花立
十島で焼却される仏像仏具から立ち上がる炎や煙を球磨川を挟んだ対岸から、門信徒が花を立て香を供えて礼拝しました。それ以来、この地を「花立」と呼ぶようになりました。また、近くに石仏を造って、取り締まりからのがれようとされたようです。